March 23, 2005

丹下さんと幼稚園のこと

22日未明に建築家の丹下健三さんが亡くなったというニュースを、いつも職場で流れているラジオで知りました。そして25日正午より東京カテドラル聖マリア大聖堂でお葬式があります。お見送りに行けない代わりに、わたしなりの想い出話なんかを書いてみようと思う。

丹下氏といえば、たいていの人は『代々木体育館』や『東京都新都庁舎』『フジTV本社ビル』等をあげると思いますが、わたしにとっては『ゆかり文化幼稚園舎』の設計者なのです。

ゆかり文化幼稚園というのは私の通ってた幼稚園で、1947年に建てられています。丹下氏が世界に知られるきっかけとなった広島の『平和記念資料館』が1949年なので、おそらくそんなに有名じゃないころの作品だと思われます。聞いた話では、丹下氏と当時の園長先生が友人同士だったので設計を依頼した、とのこと。

わたしはこの園舎が大好きで、いまでも時々夢に出てきます。

ふつう、幼稚園舎というのは『かわいらしい』とか『あったかい』雰囲気だと思いますが、ここの幼稚園は、一言でいうと『迷路』のような建物で、じっさい何度も迷子になりました(笑)初期の作品といえど、氏の特徴であるコンクリート造は健在なわけですが、それはつまり、園児に優しくない、石やコンクリートだらけの建物だということ。しかし、壁面も床もまっすぐでなく、廊下の途中がくぼんで隠れられるようになってたり、上下階の行き来の手段が「階段」「滑り台」「のぼり棒」など、何通りもあったり・・・。遊びの部分がいっぱいありました。また、斜面に建てられていたので、1階から階段を上ってもまだ1階だったりして、当時のわたしは大変混乱していました。というか、今でも迷うような気がしますが…(笑)

廊下の床にはコンクリートに丸い小石が埋めこんであって、転ぶとかなり痛かったです。でも、いろんな形の石を観察したり、手のひらを押しつけて丸いかたちに跡が付くのを楽しんだりして面白かったのを覚えています。夏の暑い日はコンクリートのひんやりした感触がうれしくて、アールの付いた壁や床にベッタリくっついたりしてました。
冬の寒さ対策なのか、ほとんどの教室に床暖房が入ってました。各教室の床はフローリングまたはじゅうたん敷きで、もちろんしょっちゅうゴロゴロしてました。(ウワサでは、あまりに寒いので丹下さんにナイショでじゅうたん敷きにしちゃった…とかなんとか。ホントかな?)
なんといっても忘れられないのが「レゴの部屋」という、3畳くらいの小さなガラス張りの部屋で(もしかしたらサンルームだったのかも?)、そこにはレゴブロックとドミノが置いてありました。ひとりでじっくり作り込むこともあれば、皆で協力しあって大作を作ったり、部屋いっぱいにドミノやレゴを並べて「ドミノ倒し」をしたり・・・
たしかその部屋は年長さんの教室の付属みたいなところで、「大きくなったらあそこで遊べるんだなぁ」と、ちょっと憧れてたのを覚えています。レゴやドミノはその部屋でしか遊んではいけないことになっていたけど、きっと紛失防止策だったんだろうなぁ。未だにレゴに夢中なのは、あの素敵な部屋のせいなんじゃないか?と言い訳しておこう・・・。

あの幼稚園で過ごした日々はわたしにとって大事で、その園舎を設計した方が亡くなるというのは、面識がないといえども、やはりちょっと寂しいです。
(それにしても、25年以上前のことをずいぶん覚えてるもんだナ...)


アサヒコム
http://www.asahi.com/obituaries/update/0322/003.html
ゆかり文化幼稚園
http://www.ans.co.jp/k/yukaribunka/index.htm

Posted by yuko at 10:33 PM | Comments (0)