ヴァイオリンを弾くお友達がいます。
その彼に聞いた話。
お友達のTさんのヴァイオリンは1929年製で、それはわりと新しい方なのだそうです。
でも、その楽器が一番鳴る時期は、2世代くらいあとにならないと来ないそうなのです。
つまり、彼はその楽器のピークを知ることなく、そして美しく(あるいは醜く)なる過程の数十年を担ってるということになるのです。
彼は楽器を鳴らしなでることが責任感のひとつになる、と言ってました。
自分の楽器を人に手渡す日への憧れが少しでてくるのだそうです。
普段の何気ない行為がその楽器の将来に関わってくる、、、そんな気の遠くなる楽器の運命(大げさw)を想像して、ちょっと感動してしまいました。
そして非常にうらやましく思うと同時に、とても切なくなりました。
一生懸命大切に育てても、そのピークを見られるのは自分ではない、他の誰かだなんて...。
建築でもそういうことがある気がします。
新築の家(ビル)を途中で手入れもせずにいい加減にしてれば、ただ古びていくだけ。
でも、きちんと使っていれば長持ちもするし、経年劣化によっていい味もでてくる。
わたしのやっているグラフィックの仕事は、そうやって後世に伝わっていくようなことはほとんど無く、
(装幀だって何年か経つと新しいデザインに変えられてしまうし...)
常に消費されてくだけなんだなぁ。ちょっとむなしい、、、(悲)
やはりもう少し、自分が死んだあとも残るようなものを作っていきたいな、と思いました。
実力もつけなきゃね。
Posted: 金 - 3月 12, 2004 at 01:59 AM